本日は、質問の機会をいただきまして、誠にありがとうございます。れいわ新選組、佐原若子でございます。その上、このようにかけたままで発言をお許しくださいまして、特段のお計らいをいただきましたこと、感謝申し上げます。どうぞよろしくお願いいたします。
私がここに座らせていただいているのは、東北の原子力政策に対する様々な疑問や不安、そして、福島原発事故でいまだに避難されている方々、そしてまた様々なところでその影響に関して心を痛めている方々の代弁をするということで参ったのだと自分で考えております。
実は、先日、経済産業省のミッション・ビジョン・バリューというものを拝見させていただきました。そのすばらしい文言と、そこにいらっしゃる動画を見たときに、皆さんが若い力で一生懸命この国を変えようとしているということが伝わってまいりました。すばらしいな、こんな方たちと一緒に働きたいものだなと思っております。
非常に僭越で、失礼とは思いますが、その文言が余りにすばらしいので、読ませていただきます。お許しください。
未来に誇れる日本をつくる。
その提案は、世界に誇れるか。
その取組は、国民に誇れるか。
その行動は、自分に誇れるか。
私たちには、この国の変革を導いていくという誇り高き想いがある。
戦後の経済を牽引し、現在の経済基盤を作り上げることができたのもその誇りがあったからこそ。
組織の枠を超え、国境を越え、時代を超えて、国富の増大とエネルギーの安定供給に邁進してきた
途中を飛ばします。
そして、「前例にとらわれず、常識に縛られず、固定観念を捨て、最後までやり遂げる。」「この国の未来をつくると信じて。」という文言でございます。すばらしいなと思いました。拍手喝采と私は思いました。
しかし、このことを踏まえて申し上げれば、私はいささか質問をしなくてはなりません。
今現在、今日の東京新聞にもありましたが、原子力政策に邁進する姿が見受けられます。被曝労働者など、誰かの犠牲なしには原子力発電は成り立たないのではと思っております。二〇一一年三月十一日に起きた東日本大震災、東京電力福島第一原発事故が起こりました。原子力発電を続けるということは、事故が起きる可能性を抱え続けることではないでしょうか。
原子力発電に使用されるウランは、海外からの輸入によるものです。海外では、ウラン残土の汚染による健康被害が報告されています。このように、多くの犠牲と負担の上に原子力発電はあります。誰かの犠牲なしには動かせないのであれば、それは立ち止まって考え直すべきではないでしょうか。
人間は失敗する生き物ですが、ただ、その失敗から学ぶことができます。失敗からしか学べないのかもしれません。私たちも、その失敗を糾弾するだけでなく、共に解決策を見出していくことが大事だと考えております。
大臣のお考えをお聞かせいただきたいと思います。