私も、石橋湛山の小日本主義というのは、何か言葉で聞くと非常に内向きですけれども、実はそうじゃなくて、やはり経世済民、国民の経済、暮らしというのを考えたら、むしろ、ああいう帝国主義のような形で植民地にするよりも、それぞれの民族に独立してもらって、そういう国と交易をした方が結果的に国民の暮らしも豊かになる、そうしたところから小日本主義というものも提案されたんだ、提言されたんだと思います。
そういった意味では、今本当に世界が自由貿易の在り方自体もまた問われているような状況の中にあって、やはり湛山の考え方はすごい大事だと思いますし、また、総理のところにも多分、研究会の皆さんにはコピーを配らせていただいたと思いますけれども、湛山が好んで使っていた、和して同ぜずという言葉ですね。晩年に書かれたものを、色紙をコピーして、参加者の皆さん方にはお配りをさせていただいて、私も会館に飾っておりますけれども。
いろいろな考え方、違いは違いとしてある。でも、それを排除するんじゃなくて、こうしたものをちゃんと議論していく、和して同ぜずという。それは総理が所信でも述べられたような、きちんと議論して、そうして合意を目指していきましょう、そういう姿勢ともつながるんじゃないかと思います。今の政治状況の中でも非常に大事なことだと思うんですね。
そういった意味では、是非、私は、湛山の考え方というものを我々はもう一度今のこの時代で学んでいく必要、そこから、じゃ、今、湛山だったらどうなのかということを考えていくことが非常に大事じゃないかと思うんですね。
その意味で、次の、今なぜ湛山かというところでいうと、私は、今の日本や世界の状況が、湛山が活躍していたそうした時代と、かなり似ているところがあるというふうに考えています。
私は二十年ぐらい前から、今の世界というのは百年前の世界とよく似てきているんじゃないかという認識を持って、この二十年余り、世界で起きてきたことを観察してまいりましたが、いろいろなことが本当に何かよく似ているなというのを最近つくづく感じます。
例えば、資本主義の在り方。前の岸田政権のときから、新しい資本主義なんという、そういうことも言われていますけれども。資本主義の在り方が問われたのは、実は百年前も問われていたんですね。それに対する回答の一つが、まさに共産主義という、そういう考え方でもありました。
また、格差の問題ですね。格差論で有名なトマ・ピケティは、十年ほど前に「二十一世紀の資本」という本の中で、かつて格差が最も大きくなったのは二度の大戦の前、ちょうど百年前のこと、二十一世紀に入ってそれを超える格差拡大が起きているというふうに指摘しているわけなんですけれども、まさにこの格差の問題も、言ってみれば百年前と似たような状況にある。
ですから、今の時代というのは、そういう意味で、私は、百年前とかなりいろいろなことが似てきていて、その歴史からちゃんと学んで今の時代というものを捉えていく必要があると思いますけれども、総理の今という時代についての時代認識は、どのような時代認識を持っておられるか、お教えいただけますか。