悪だとか善だとかいう話ではなくて、今の話の流れから、さっきの、これも野田代表との議論でありました八幡製鉄政治献金事件の話が出てくるんだと思いますけれども、この判決というのは、企業は憲法上の政治活動の自由を有するんだ、こういう話なんですけれども、ただ、これは、先ほど来言われているように半世紀前の判決で、その後に、一九九六年に南九州税理士会政治献金事件の最高裁判決というのが出ています。ここには何が書かれているかというと、政党に金員を寄附するかどうかは、選挙における投票の自由と表裏を成すもので、会員各人が個人的な政治的思想、見解、判断等に基づいて自主的に決定すべき事柄であるというふうに書かれているんですね。
つまり、企業が政治活動の自由を有するということから、ストレートに企業が政治献金の寄附をすることができる自由が私は導かれるものではないというふうに思います。
それから、もう一つ言えば、先ほど憲法の話を総理はされましたけれども、私も法学部ですからいろいろな憲法の本を読みましたけれども、多くの学生が読む芦部先生の基本書というのがありますけれども、芦部先生はこう言われています。
強大な経済力と社会的影響力を持つ会社に、定款所定の目的と関わりない行為まで、社会通念上、期待ないし要請されるものないし社会的実在として当然の行為だとして、自然人と同じく政治的行為の自由を無限定に憲法が認めると解するのは、行き過ぎであり妥当ではない、多額の献金が、選挙の結果だけではなく、国民個々の選挙権その他参政権の行使そのものに大きな影響を及ぼすことは、否定し難いことであろう、これが憲法学者の言っていることなんですよ。
ですから、お金をたくさん寄附することによって、ある種、個々の選挙権、参政権の行使そのものに影響を与えるというのが憲法学者の言っていることなんです。
それから、さらに、私が今日お示しをしたいのはこちらなんですけれども、これは、一九九三年の十一月の二日、衆議院の政治改革に関する調査特別委員会というところに参考人として出席した岡原昌男元最高裁長官がこういうことを言っているんです。
これを御覧いただきたいんですけれども、企業献金の問題につきまして、例の昭和四十五年の最高裁判決がございますけれども、この昭和四十五年の最高裁判決というのは八幡製鉄政治献金事件です、あの読み方について自民党の中で非常にあれをルーズに読みまして、その一部だけを読んで企業献金差し支えない、何ぼでもいい、こう解釈しておりますが、あれは違いますと言っているんですよ。それから、本来営利団体である会社でございますから、非取引行為、つまりもうけにならぬこと、これをやることは株主に対する背任になります、もし見返りを要求するような献金でございますと涜職罪になるおそれがありますと。これは当たり前ですよね。会社はもうけるためにやっているんですから、もうけにならないことをやったら背任だし、何か見返りを求めたら、これは贈収賄的な意味合いを持つ。それから、もう一つ、あの判決を基に取って、企業献金は何ぼでもいいというふうな考え方はやめてもらいたいと言っているんです。
もっと衝撃的なのは、一番下のところですけれども、元最高裁長官は、あれは助けた判決だと言っているんですよ。どういうことかというと、当時、企業献金が当たり前という風潮の中で、ほぼ全部の議員がひっかかるような判決は出せないので、現実に追随する形で出した判決だと言っているんですよ。
したがって、企業・団体献金の根拠としてこの八幡製鉄政治献金事件の最高裁判決を持ち出すのは、私は不適切にもほどがあると思いますけれども、総理、いかがでしょうか。