衆議院法制局の橘でございます。
本日は、枝野会長を始め幹事会の先生方からの御指示によりまして、冒頭の御報告をさせていただくことになりました。どうかよろしくお願い申し上げます。
私自身、二〇〇〇年一月以来、約四半世紀にわたって、各党各会派の先生方の御指導を頂戴しながら、衆議院及び各党の憲法論議を拝聴し、また、お手伝いをさせていただいてまいりました。本日の御報告は、門前の小僧よろしく、この間に見聞きしたことを踏まえて、客観的な事実関係を整理して御報告申し上げるつもりでございますが、至らざる点も多々あると思います。何とぞ御容赦くださいますよう、あらかじめお願い申し上げます。
お手元に、吉澤事務局長ら衆議院憲法審査会事務局の皆さんと共同で作成させていただきましたスライド及び資料を配付させていただいております。これに沿って御説明申し上げたいと存じます。
早速ですが、目次をおめくりいただきまして、スライド一ページを御覧ください。
まず、衆議院憲法審査会における憲法論議の経過を御理解いただく前提として、二〇〇〇年一月に設置されました憲法調査会とそこでの運営ルールについて言及しておきたいと存じます。
憲法調査会は、日本国憲法の下、憲法改正の発議権を有する国会に初めて設置された憲法論議の専門機関です。その背景には、国際的には、一九八九年のベルリンの壁崩壊や九〇年の湾岸戦争に始まる冷戦構造の終えんが、また国内的には、一九九三年の五五年体制の崩壊と八会派による細川連立政権の誕生に象徴される政党の流動化といった政治状況がございました。
このように世の中が大きく変わる中で、改めて国家の基本法たる憲法を見詰め直そうと、一九九七年に、超党派の憲法調査委員会設置推進議員連盟が結成されました。その活動によって、二〇〇〇年一月、憲法調査会が設置されたのでございます。ただ、いきなり憲法改正の議論に進むのではなく、あくまでも調査専門の機関とされ、憲法改正の提案権などは持たないこととされたのでした。
その調査会長に就いたのが、湾岸戦争時の外務大臣であり、同議連の会長でいらっしゃった中山太郎先生でございます。
ここで、スライド二ページを御覧ください。
中山会長は、憲法は政権を相争う政策論争を行う民主主義の土俵それ自体であり、その土俵づくりともいうべき憲法論議には与党も野党もない、国会議員一人一人が、国民代表として、政局を離れた静ひつな環境の下で大所高所からの議論を行うべきとの信念から、第一に、政局から一定の距離を持って運営すること、第二に、野党第一党の幹事を会長代理とし、会長とともに調査会運営に責任を持つこと、第三に、憲法の理念である少数意見尊重に鑑みて、基本的に数が物を言う国会ではあるが、少数会派の発言権をできるだけ保障することといった原則を打ち立てられました。
これが後に中山ルールとか中山方式と言われる運営ルールですが、その根底にある基本的な考え方は、次のようなものでした。
憲法論議、特に、その一つの到達点である憲法改正は、多様な価値観を有する人々、全国民の生活に影響するものであるから、それぞれが信ずる理想を追求しつつも、決してそれに拘泥してはならない、皆が少しずつ譲り合い、歩み寄りながら、妥協して作り上げていくものだという考え方です。中山会長のお言葉をかりれば、偉大なる妥協、グレートコンプロマイズの姿勢であり、これこそが合意形成の肝であると述べておられました。
この中山会長を一貫して支えられたのが、歴代の会長代理である、民主党の鹿野道彦先生、中野寛成先生、仙谷由人先生、そして枝野幸男先生であり、与党筆頭幹事でいらっしゃった葉梨信行先生、船田元先生でした。中野寛成先生はこの中山ルールを、与党は度量を、野党は良識を持てと表現されました。
恐縮ですが、再びスライド一ページにお戻りください。
この中山調査会は、二〇〇五年四月に、五年間の調査結果をまとめた七百ページを超える報告書を発表しました。その中に、戦後六十年間制定されてこなかった最も基本的な憲法附属法規である憲法改正国民投票法、これを速やかに制定するべきであるとの提言が盛り込まれました。
スライド三ページを御覧ください。
この提言に基づいて設置されたのが、憲法調査特別委員会です。この特別委員長にも中山太郎先生が就任されました。
この特別委員会で国民投票法制定に向けた議論を開始するに当たって、野党筆頭理事であった枝野先生は、憲法改正国民投票法は、形式的には法律の一つにすぎないが、その制定プロセス、すなわち制定過程における合意形成のプロセスは、近い将来の憲法改正の予行演習、リハーサルのようなものにしたいと考えました。この基本姿勢は、中山会長始め与野党の理事、委員にも共有され、委員会採決の最終局面までそのとおりに進んでいきました。
しかし、二〇〇七年七月の参議院選挙を前にした与野党対立の政局に巻き込まれる形で、それまで築き上げてきた委員会の現場での合意は、同年四月十二日の特別委員会の採決直前に崩壊し、同日の採決は、与党による強行採決の形になってしまいました。枝野先生は、採決当日に、党内をまとめ切れなかった責任を取って理事を辞任されました。
ただし、可決された法案の内容は、それまでの議論の過程で与野党が合意してきた事項をそのまま盛り込んだもので、自民・公明案と民主案を合体した併合修正案という珍しい形を取ったものでした。
しかし、強行採決のしこりと、その直後の参議院選挙によるねじれ国会の誕生によって、その後四年三か月の長きにわたって衆議院の憲法論議は停滞することになりました。
次に、スライド四ページを御覧ください。
このような経緯を引きずりながらも、民主党への政権交代が行われた後の二〇一一年十月、国民投票法による改正国会法に定められていた憲法審査会がようやく始動することになります。
初代の審査会長に就任した大畠章宏先生は、中山ルールを踏襲することを宣言し、まず、政界を引退されていた中山太郎先生を参考人として招致した上で、二〇〇五年の中山調査会報告書を復習、レビューするところから議論を始められました。
この大畠審査会の基本姿勢は、再度の政権交代を挟んで就任された保利耕輔会長にも引き継がれました。選挙で中断した中山調査会報告書のレビューを続けるとともに、国民投票法制定の際に残されていた三つの宿題にも取り組んだのです。
三つの宿題とは、一つ目は、憲法改正国民投票の十八歳投票権に合わせて、選挙権年齢も十八歳に引き下げること、併せて民法の成年年齢も引き下げること、二つ目は、憲法改正国民投票は主権者国民としての貴重な意思表明の機会であり、そもそも公務員制度それ自体の土俵でもあるのだから、公務員も、賛否の表明など一定の政治的行為ができるような法整備をすること、三つ目は、憲法改正国民投票以外の一般的な国民投票制度についても、現行憲法の下でどこまでが可能か検討すること、この三つです。
このうち十八歳選挙権については、二〇一四年六月の国民投票法改正と翌二〇一五年六月の公選法改正の二段階の法改正を経て実現されました。さらに、成年年齢引下げのための民法改正案も、上川陽子法務大臣の下で二〇一八年に成立し、既に二〇二二年四月から施行されております。公務員の政治的行為についても、二〇一四年の国民投票法改正で措置されましたし、一般的国民投票制度についても、新たな検討条項が設けられています。
次に、スライド五ページを御覧ください。
その後、二〇一四年十二月の第二次安倍政権下での衆議院解散・総選挙、二〇一六年七月の参議院通常選挙などを挟んで、衆議院憲法審査会での憲法論議は大きな転換期を迎えることになりました。
与党及び改憲に積極的な会派が衆参共に三分の二を超える勢力を獲得し、これを背景として憲法改正に大きな弾みがつくのではと期待する声が上がる一方、野党の一部には、これに反発する形で、憲法論議それ自体に強い警戒心が芽生えていったのでした。
この時期の政治の現場での主な出来事を振り返りますと、まず、政府・自民党を中心とした動きとしては、解散・総選挙前の二〇一四年七月の憲法九条の解釈変更、それに基づく翌二〇一五年の平和安全法制をめぐる与野党の激しい憲法論議、二〇一七年五月三日の読売新聞紙上での安倍総理・総裁の自衛隊明記、緊急事態対応、教育充実の三項目御発言があり、そして、この三項目に合区解消・地方公共団体を加えた四項目の憲法改正の条文イメージたたき台素案が、翌二〇一八年三月の自民党大会で報告、了承されております。
野党に目を転じますと、二〇一六年三月には、当時のおおさか維新の会が、教育無償化、憲法裁判所、道州制導入を始めとする統治機構改革の三項目の憲法改正原案を発表し、国民民主党も、二〇二〇年十二月に、デジタル時代の人権保障と統治機構の再構築を通じて、憲法の規範力を高めるための、憲法改正に向けた論点整理を発表しております。
また、民主党、民進党におかれましても、二〇一七年総選挙直前の旧立憲民主党の結成と、その三年後の旧国民民主党との合流による新立憲民主党の誕生を踏まえて、その両者の憲法観をすり合わせ、確認した、憲法論議の指針といった基本的な文書が策定されています。この指針では、安保法制は違憲であること、自衛隊明記には反対であることを明確に打ち出すとともに、統治機構の分野では、臨時会召集期限の明記や解散権の制限、人権の分野では、知る権利や、同性婚、LGBTの人権などに言及されています。
このように、この時期の憲法論議は、与野党の対決ムードの高まりの中で政治的、政局的なテーマとなっていきましたが、それと反比例するかのように、憲法審査会での議論は停滞し、その開催自体に汗を流さなければならない時代に入っていったのでありました。
しかし、そのような中にあっても、森英介会長や佐藤勉会長の下、与野党の会長代理や幹事の先生方は、中山ルールを念頭に置きながらも、新たな与野党の向き合い方に腐心され、憲法公布七十年を機にとか、海外調査報告書を機にといったきっかけを探りながら、お互いに合意できるテーマを設定して、審査会の開催に向けて努力されたのでありました。
この時期のもう一つのテーマとして、国民投票法の改正問題がございます。二〇〇七年の国民投票法制定から十数年を経る間に、公選法においては、在外投票システムの改善や共通投票所の開設、洋上投票の機会拡充など、投票環境向上のための法改正が次々と施されていました。投票や開票のシステムは国民投票法でも同じであり、同様にバージョンアップしていく必要性が認識され、提出から成立までかなり時間はかかりましたが、二〇二一年六月に、公選法並びの七項目改正案が成立しております。
次に、スライド六ページを御覧ください。
衆議院憲法審査会の議論において更なる転換点となったのが、二〇二二年の通常国会からの議論でした。
再び会長職に就かれた森英介会長の公正中立、円満かつ筋を通した毅然たる運営方針の下、与党筆頭となってから三年余りの間、与野党合意に基づく審査会開催に腐心されてきた新藤義孝先生と野党筆頭に就任されたばかりの奥野総一郎先生との御協議によって、衆議院予算委員会が開会中の二月の段階から、毎週木曜日の定例日に憲法審査会を開催して、継続的に議論が行われるようになっていったのです。
当時の新藤先生のお言葉をかりると、憲法審査会の開会自体がニュースになるようじゃ駄目だ、その議論の中身を国民に伝えてもらえるようにならないといけない。この時期の議論の転換を表した象徴的なお言葉だと拝察いたします。
当時は、二〇二〇年の新型コロナウイルスの感染者発生から三年目に入っており、衆議院では、本会議のいわゆる間引き出席など、三密を回避しながら国会を機能させる工夫がなされていました。
そこで、最初に議論の俎上に上ったのが、憲法五十六条一項の定足数を定める「出席」の概念にオンラインによる出席も含まれるのかといった論点でした。議員間討議や法制局による論点説明、参考人質疑を踏まえた上で、同年三月三日、審査会で次のような決議がなされました。
憲法五十六条一項の「出席」は、原則的には物理的出席と解するべきではあるが、国会の機能を維持するため、緊急事態が発生した場合等においてどうしても本会議の開催が必要と認められるときは、例外的にオンライン出席も含まれると解釈することができる、これが本審査会における議論の大勢であったというものです。詳細は資料1を御参照ください。
この決議は、森会長から当時の細田博之議長に報告され、細田議長の指示で、山口議運委員長の下で議論が開始されました。そして、本年六月、その成果の一つとして衆議院規則が改正され、委員会レベルでのオンライン参考人が正式に認められることになったのでした。
さて、一昨年の通常国会では、このオンライン審議の議論に続いて、緊急事態一般の議論に入っていくことになりました。同年二月二十四日のロシアによる突然のウクライナ侵略という事象を目の当たりにして、このような事態への備えに関する認識が多くの委員間で共有されていったからであります。
そして、当時の審査会での議論は、次のような形で進んでいきました。
まず、ステップ1、各委員からテーマ選定のための自由な発言をしてもらう。次にステップ2、その委員発言を整理して、共通の関心事項と思われるテーマを選定して、これについて議論を進める。そしてステップ3、当該テーマに関する議論の積み重ねを踏まえて、法制局及び審査会事務局に論点整理をしてもらう。ステップ4は、この論点整理を踏まえて、また、必要に応じて参考人質疑を行うなどして、更に議論を深めていくといったプロセスです。そして最終的には、ステップ5、この議論の結果、憲法改正が必要と判断されれば、具体的な条文案の作成に入っていくことになります。
緊急事態条項については、法制局、審査会事務局による論点整理、参考人質疑とそれを踏まえた議論の深掘りの段階、今申し上げたステップ4まで進んでいきました。この論点整理の詳細は、資料2を御参照ください。
その結果、自民、公明、維新、国民、有志の五会派の委員においては、大規模自然災害や異常な感染症、テロや有事などの場合においても行政監視を始めとする国会機能を維持するために、長期間、国政選挙の実施が困難と見込まれる場合には、議員任期の延長や解散権制限を定めておくことが望ましいといった、いわゆる選挙困難事態における国会機能維持条項、この必要性が述べられ、速やかに条文案作成のステージに入っていくべきである、このような発言が相次ぎました。
これに対して、立憲、共産の先生方からは、国会機能の維持に限ったとしても、そのような条項には濫用のおそれがある、国会機能の維持は現行憲法の参議院の緊急集会で対応可能であるとの意見が述べられたところです。
他方、この時期のもう一つの重要なテーマに、ネットやデジタル化への対応問題があります。
具体的には、国民投票の公正確保のために、放送CMをはるかに凌駕するに至ったネットCMや、SNSなどにおけるフェイクニュースなどにどのように対応していくべきか、そもそも規制できるのかといった議論です。
加えて、このデジタル化やフェイクニュースの問題は、国民投票の場面に限らず、情報アクセス権やプライバシー権、情報的健康といった憲法上の人権保障の問題でもあることが認識されるようになってまいりました。
これらの論点については、参考人として招致した、ネット社会と憲法の第一人者である慶応義塾大学の山本龍彦先生や、ネット業界、ファクトチェック団体の代表者の方々との質疑応答によって議論が深まりつつあるところです。
最後に、スライド七ページを御覧ください。
以上の議論は、今年の常会に入っても続けられました。すなわち、一方では、緊急事態における国会機能維持のための条文案の作成に関する議論が、他方では、国民投票法の議論やデジタル時代の人権保障の議論が唱えられ、活発な意見交換が行われてきているところです。
以上、衆議院憲法審査会における憲法論議について、設置以来今日までの大ざっぱな流れを御報告させていただきました。
お耳汚しで大変失礼申し上げました。御清聴ありがとうございました。